株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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月刊 ゴルフ場セミナー 2014年5月号 発行:ゴルフダイジェスト社
連載コラム グローバル・アイ  第136回
 
ハーヴィー・ペニック
  昨年5月、旧知の記者からハーヴィー・ペニック氏の著作の翻訳を依頼されていたが、やっと5月末に発売される。 興味のある方は是非書店で、お買い求めください。 この機会に、米国ゴルフの黎明期を知る彼と、翻訳裏話をご紹介しよう。 締め切り間際にバタバタするのは小生の怠慢のせいだが、米国南部の田舎町に住む職業ゴルファーのお爺さんが書いたレッスン書というのは、翻訳の専門家ではない小生にとって相当な難物だった。 お爺さんの常として、話がクドクド長いし、何度も同じ話題を繰り返す。そのくせ急に話が飛んで脈絡がないのだ。

 ハーヴィー・ペニック氏の『リトル・レッド・ブック』は1992年、1904年生まれの彼が87歳の時に出版された。 その後、1995年に亡くなるまでの3年間にあと3冊執筆し、訳本の原本は彼の4著作のベストアルバムとして、1996年に刊行されている。  最初の著作が発売された1992年当時、小生はロンドンに住んでいたが、大手書店、ゴルフ倶楽部のプロショップ、ゴルフ用品量販店にまで本が平積みされ、大評判だったのを懐かしく思い出す。 実はハーヴィー・ペニック氏自身のゴルフ歴は、そのまま世界のゴルフ界の主流が英国から米国に移った時期と重なり、米国側から見れば英国に追いつき追い越した黄金期だったのだろう。 コース設計の分野ではフィラデルフィア派と呼ばれる人たちの活躍や、ヒロイック設計の発展過程など見所が多い。 が、プレーヤーの観点からも、ボビー・ジョーンズ、ジミー・ディマレット、ベン・ホーガンなどテキサス派とも呼べる南部出身者が初期の米国ゴルフを牽引してきたのだ。

つまり、ハーヴィー・ペニック氏と仲間たちが、それまでの堅苦しい英国ゴルフから、庶民的で朗らかなゴルフに変貌させた立役者なのだ。
彼が亡くなる頃の教え子は、トム・カイト、ベン・クレンショー、デービス・ラブV世などだが、それぞれ個性的で米国の底力を感じたものだ。  さて、芝草管理の観点からみると、20世紀前半の米国のコースは、サンドグリーンから芝グリーンへの転換を果たし、散水設備を大量生産して普及させた時期でもある。 冷涼なスコットランドに比べると、米国南部テキサスは暑いが湿度は低く、芝種も最初はゾイシア系のバミューダだったが、ベント芝へと進化しグリーンスピードもどんどん速くなったのだろう。 つまり涼しい英国から暑い米国、そして暑い上に湿度の高い日本へ、高速グリーン伝搬の鍵は高エンタルピー克服の歴史ではないだろうか? 無論、害虫や病害など配慮すべき課題はあるが、欧米で開発された芝種をそのまま移植するには、もう一段のブレークスルーが必要だと思う。

 ハーヴィー・ペニック氏の著作の話に戻ると、彼は古き良きアメリカを体現したような人物で、律義で欲のない生活を信条としていた。 たぶん生徒とはフランクというか庶民的な会話をしていたと思われるが、職業ゴルファーとしての自覚も強く持っていた事が覗えるので、丁寧な語り口にすることにした。 米国とはいっても、職業ゴルファーに対する偏見が強い時代からの生き残りだから、彼も容認してくれると思う。  文中に日本から来たゴルファーの悪口が書かれている所があるのだが、米国南部の年輩ゴルファーにまで言われるとは少しショックだった。 日本のアベレージを誇れるようになりたいものだ。