株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 Choice誌掲載 (8) 2004年3月号 Vol.139    出版元ゴルフダイジェスト社

Ping at Phoenix
 コース設計家の私がクラブメーカーの記事を書くなんと訝しがる方も多いと思うので最初に弁解を
しておく学生時代からピンの研究家として名高い
佐藤勲さんの工場に出入りして薫陶を受け、10年ほど前に先生の紹介で台湾のクラブメーカーから依頼されて
シニア用のクラブセットをデザインした事がある。

商業的には不作ですぐに生産中止になってしまった、中国ビジネスの難しさも体験できたし、その後ゴルフ専門学校でクラブメインテナンスの講義も担当する事になったので、今となっては良い思い出だ。
今回のピンの本社工場の取材はTPCスコッツデールと抱き合わせの企画として
実現したのだが長年のピン製品愛用者の率直な疑問解決の旅とえて
いただければ幸いである。

 数々の革新的なアイデアをゴルフに持ち込んだピン社を語る上で、カース
ソルハイム氏の足跡を辿る事は、是非とも必要な事である。今回はピンの創世記
をクラシックモデルでいつも話題になるフェース裏面の番号の謎と一緒に確認
しておこう。
サンフランシスコの南40kmにあるレッドウッドシティーで、50年代後半に
ガレージ工房からスタートしたとされるクラブ製作は、彼が当時勤めていた
GEの勤務時間以外の時間を使って行われていた。

59年に最初の1A型のパテントを申請し、ガレージ
の前で初期ロット
100本パターを初出荷する時の
記念
写真(現CEOの3男ジョン撮影)が残っているから、
彼は既に商業ベースで内職に励んでいたのだろう。
61年にGE社内の転勤があり、家族共々アリゾナ州の
フェニックスに引っ越したが、相変わらずガレージでの
夜なべは続いたようである
同年にはヒール&トー
バランスを応用した鍛造アイアンも製作し次々と
モデルが増えている。

(50歳)62年にPGAツアーで69型を使用したジョン
バーナム優勝し、それをきっかけにカーステンはツアープロロフト角
やライ角を測り始め、結果的にオーダーメイドを導入し、カラーコードも開発
する事になった。
66年にアンサー(Anserとwが抜けている)を発表し、会社の経営が軌道に乗り
はじめるが、未だ自宅のガレージが仕事場であった。
初期のアンサーはフェース裏面にScottsdaleと鋳込んであるため、コレクターの
間ではスコッツデールモデルと呼ばれているがこれは当時ソルハイム一家が
住んでいたフェニックスの家がスコッツデールとの境に近く隣町郵便局の方が
近かった事に原因がある。
郵便局私書箱を使って製品の出荷をしていた彼は製品そのものに私書箱を
鋳込んだのである。つまりP.O.BOX1345 SCOTTSDALE ARIZ.1345番が
当時カーステン氏の使っていたスコッツデール郵便局の私書箱の番号なのだ。
(P.O.BOXはポストオフィスボックス。P.O.は無いか、読めない場合が多い)
さらにスコッツデールモデルは4つのモールド(金型)が在ったと言われて
おり、2つが平底、2つが船底であったらしい。
67年にGEを退職しやっとフルタイムでクラブ製作の仕事に打ち込める
ようになると同時にカーステンマニュファクチャリングコーポレーション
(KMC)を設立し、フェニックスに50坪ぐらいのオフィス兼工場を購入する
尚、この社屋は現在も使われており、周りを徐々に買い足していった結果、
いまや600ヤード×3000ヤードほどの敷地に32棟の工場や倉庫が立ち並び
クラブ製作の一大拠点となっている。
フェニックスに本社工場を購入してからの製品は、私書箱の替わりに
郵便番号を鋳込むようになったが、市政(町の合併や区割り)の変更によって86029,20,68と変わっていく。因みに現在はまた86029に戻っているという
67年3月21日にアンサー(anser)の意匠登録が認可されそれに伴って脇に
【丸R】が鋳込まれるようになるのでそれ以前のものと区別できるが、
通称カーステンCo.デールヘッドMFGと呼ばれる本社工場購入後の
クラシックアンサーの製造期日は、大まかには判っても特定するのは難しい。
殆どのクラブが顧客のニーズに合わせて在庫ヘッドに小変更が加えら
異なるシャフトが組み付けられるなどオーダーメイドで製作されており1つ
として同じ物がないからだ。

さて、60年代後半から現在に至るまで、
ピンパターの大黒柱はアンサーモデルで
あった。このモデルがいかに革新的で
あったかを確認すによって、ース
氏の非凡な才能と技術力を検証してみ
よう。アンサーモデルの革新的な要素
は以下の5つに集約できる。

1.ヒール&トーバランス と低重心 
テニスラケットの断面構造からヒントを得たといわれるヒール&トーバランスを、
ネーミングと共に一般に認知させたカーステン氏の功績は大きい。
しかし同じフェース高で低重心のパタスイトスポッで球とコンタクト
するためにはパターヘッドを浮かした状態でインパクトしなければならず
ピンパターがトーナメントに浸透するに連れ、プレーヤーはこぞって擦り
上げるようなパッティングスタイルに変わっていったように思う。パターの
低重心化はその後のパッティングスタイルを変化させるほどの影響力
持っていたのだ。

2 折れ曲がったネック形状  
いかにも工業製品然としたオフセットネックは、それまでの優雅に曲がる
グースネックと較べて「醜いアヒルの子」と呼ばれた。言うまでもなくガチョウ
と白鳥のどちらが大きな鳥になったか一目瞭然だ。
アンサーはフェースアングルが丁度45度になるが、意図したのか偶然なのか
謎である。

3.精密鋳造製法 (インベスティメント・キャスティング)
軟鉄鍛造品はライ角やロフト角の調整が容易だが、研磨シロが大きく工業製品
としての均一さに欠けていた。鋳造製品であっても金属を選び、熱処理を施す
(ロックウエル硬度を32まで下げる)事により各調整が可能になりさらに砂型
鋳造から精密鋳造にする事で研磨シロを激減させ製品の重量精度が高く
なった。(ただし、スコッツデールモデルは砂型鋳造当時ガレージメーカー
であったピンは、マスターモデルを作り、モールド(金型)と実際のヘッドの
製作は外注していたのだ。

4.タンブリングフィニッシュ  
粗加工の済んだヘッドと小石大の研磨材を入れたゲージを振動させ、鋭利な
角を落とし金属表面を滑らかにする仕上げ方法建築のコンクリート打ち
工法同様、メッキ処理が一般的だったのに比べ素材の表情が活きてモダンな
表現になる。ピンアンサーの直線的だがどこか暖か味を感じる独特の風合いは
この工程から生まれる。
デザイン的な意味から面白いのは、タンブリングフィニッシュ後の機械加工の
部分だ。ソールに走るスリットは1Aからの踏襲だがネーブル(へそ)と呼ばれる
フェース面とネックを視覚的に分断する凹みは、見事な造形美だと思う。

5.ボールベアリングを使ったシャフト固定方法 別枠で詳しく解説
佐藤勲先生によると、もう一つソールのスクープ角度に秘密があるらしいが、
カーステン氏以前のクラブにも良く見受けられる特徴なので割愛する。

 さてパターの話が長くなってしまたが歴代のアも必然から生まれた
革新に満ちている。
あまり知られてはいないが、ピンアイアンのロフト構成は一般的な4度刻み
とは全く違い、インパクト直前のシャフトの軸線と球の直径によって工学的に
厳密に規定されている。
4半世紀も前の特許資料で既に公開されているが番手間のロフト配列が当時の
標準的なロフトと異なるため、巷では「ピンのアイアンが飛ぶのはロフト
立っているためだ」などと囁かれた。
現在は重心位置やスピン量をも考慮された数値に発展しているが、ピンの
本社で2番手以上も飛距離が出る違反アイアンを見つけたので紹介しておこう。
これは普通の6番アイアンのヘッドに、グリップ下部から曲がったシャフトが
組みつけてあり、ヘッドの形状から60年代にカーステン氏が製作した物である
ことは明らかだ。
独創的な発想と真摯な研究態度は現在にも受け継がれ、現CEOのジョン・ソル
ハイム氏によると、あえて特許申請をしていない案件も数多くあるという。

さて、日本では工業製品然とした形態のためか
量販店で既製品として数多く売られているような
イメージがあるピンクラブだが、米国内では全て
オーダーメイドされ、顧客に合わせて調律された
上で販売されている事を知り
正直驚いた。
またモデルチェンジの度に在庫を一掃する事をず
可能な限り文にじる姿勢も他のメーの追随を
許さないピンの誠意の証だろう。
ステン氏と共に若い頃から現場に立ち今も尚
しく飛び回っている3男のジョン・ソルハイム氏も
言うように
ピンの最新モデルの中でもD2HL(ハイ・ロンチ)は、差し替える番手
との相関性をよく吟味したという意味から既存のティリティクラブとは
一線を画す作品で、まさにアイアンクラブセトに絶対の自信を持つピンの面目
躍如といったところだろう。
近代ゴルフの中で真に革新的なクラブセットを創作したメーカーは、バランス
計を開発したケネス・スミス氏とカーステン・ソルハイム氏だけだと思う。
2人共イニシャルがK.S.というのは何か因縁めいていて面白い。

別枠 パターのシャフト交換
ピンパターのシャフト交換は固定方法が特殊な為プロショップでも
困っていた。今回、メーカー工場での製造工程と抜き方を取材してきたので、
参考にして欲しい。
 ピンアンサ開発当時は現在のように優秀な接着剤がなかたので
シャフトに穴を開けてシャフトと直行するピンでヘッドと接合した長い
ホーゼルによって接合面積を確保したりする方法が一般的な方法であった。
カーステン氏はヘッドの重量配分に影響が少なく十分な強度を確保する
方式を開発し、パターヘッドとシャフトの接合方法に採用した。
 シャフト先端(ティップ)内径より僅かに径の大きい鋼球を予めシャフトに
入れておき最初はシャフトだけをヘッドに叩き込む。次にシャフトより細く
長い鋼棒を使って、今度は鋼球だけをシャフト先端まで叩き込む。
このようにすれば、ネックの長さは鋼球の直径以上は必要なく接着剤も不要
である。(実際、工場では現在も接着剤は全く使われていない)
 さて問題はリシャフトする時のシャフトの抜き方だがアリゾナの工場では
レーザー光線を使って鋼球を粉砕しシャフトを引き抜く工法を使っているが、
一般のプロショップやアマチュアには、金属の熱膨張利用した方法がある。
ネック部分を予め十分熱しておき、シャフト端部から冷水を注ぎ込んで鋼球と
シャフトを熱収縮させる。と同時に一気に引き抜くやり方で、接着剤を一切
使わないからこそ可能な方法であろう。

 余談だが、タッチの柔らかさで
クラシッククラブの中でも
人気の高
、アンサースコッツデールモデル
のロングスッテップシャフトは、多くのバリエーションがあるが、一番多い
のはアイアン用のシャフトをそのまま
装着した物であるらしい。
当時弱小メーカーだったピン社のためにパター専用のシャフトを作って
くれるシャフトメーカーなど無く、プレーヤーの要求に合わせて硬さを調節
したいカーステン氏にとって、残された唯一の方法だったのだろう。
中にはドライバー用のスチールシャフトを切って使用している物もあるという。
般的に35インチを標準長として計画された米国のパターを短くすれば
バランスが軽くシャフトが硬く感じるのは当然で軽くて柔らかいドラバー
用のシフトに変えることによって、柔らかいタッチが得られるではないかと、
密かにリシャフトを企んでいる。

GE(General Electric Company)
トーマス・エジソンを創業者の一人とする。1892年の創業の米国の巨大企業。

佐藤 勲
昭和6年(1931年)生れ 読売新聞記者を経てアイアンヘッド等のクラブ研究に
没頭。文献の緻密な解析と製造工程を踏まえた検証により、昭和のクラブ製作
業界の理論派の雄。
著作も多く『??????』『クラブ考現学』『素顔のアイアンヘッド』
JGA用具審査委員会技術顧問(世界中で用具審査機関を持っているのR&A
USGAとJGAしかない。)

撮影:三木崇徳