株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 Choice誌掲載 (14) 2007年9月号     出版元ゴルフダイジェスト社

リンクス入門とエジンバラ近郊のゴルフコース

原始的なゴルフがスコットランドの東海岸を基点に育まれてきたのは周知の事実です。
エジンバラを中心にしたこの地域の海岸は、大きな川の河口近くで昔からの砂浜に続き、リンクスランドと呼ばれる草に覆われた凸凹の砂丘が、海岸線に沿って延びていました。

この草地は起伏があり保水性に乏しいため、農耕地には不適で羊を放牧していたようです。牧童が始めた石転がしゲームをゴルフの起源とする説が有力ですが、少なくとも十九世紀半ばまでの古典的なゴルフは、地方色豊かな郷土娯楽の域を出る事はありませんでした。この間のリンクスランドは公開の空地として、ゴルフだけではなく軍隊の錬兵場にも羊の放牧場にも洗濯物干し場としても、其々の摩擦は在りましたが多目的に使われていました。

産業革命以降の近代ゴルフは、ルール整備や用具の規格化を伴って、新興富裕層により英国全土世に拡がり、今や世界中でプレーされていますが、黎明期ではエジンバラ市民が倶楽部組織の設立に深く関与していました。一般にセント・アンドリュースをゴルフの聖地と呼びますが、広義に考えればエジンバラ市民が行楽できた範囲(日帰りとは限らない)をゴルフの原風景と例えても良いでしょう。この範囲は、鉄道網の整備等によって劇的に拡大していきますが、北は今年のThe Open開催コースのカヌースティー・リンクス、東はノースベリック辺りまでだと思います。

世界最古のゴルフ倶楽部がエジンバラ東端のリースで産声を上げてから、更に東のマッセルバラに移り、更に東のミュアフィールドに落ち着くまで、複数倶楽部のコース共有は、ゴルフの成立過程から考えても当然でした。当時のリンクスランドは、商業的な有用地とは考えられていませんでしたから、広大な敷地を必要とする遊興用施設は、必然的にリンクスランドに集まる事になったのです。リンクスは砂丘に天然の芝が辛うじて根付いただけの荒地ですから、高い木はなく、林間のリンクスコースという物は存在しません。

写真のガレンCCは、ミュアフィールドとノースベリックに挟まれた黄金海岸に面していますが、丘陵にレイアウトされているため本物のリンクスコースではありません。しかし「1日の中に四季がある」と言われる気まぐれな天候と、海辺を吹き抜ける強烈な風は同じですから、食事に困ることも含めてスコットランドのゴルフを堪能できます。スコットランドのプレーヤーは決断がとても早く、クラブを自分で運びながら4ボールでも3時間半位で廻るのが普通です。また、英国は商行為とは無縁な倶楽部組織の発祥地です。ゴルフでもプライベート倶楽部の個人会員である事が、唯一無二のゴルファーの条件なので、ビジタープレーヤーは所属倶楽部(つまり自分の資格)を明示するため、ハンディキャップ証明書が必要です。


迫田 耕(主夫とゴルフコース設計家の兼業)
1955年生れ 東京藝術大学美術学部建築科卒 日本ゴルフコース設計者協会会員
妻の転勤に伴い英国に通算7年、モスクワで2年、今年4月よりバルセロナ在住。英国でコース設計の基本と変遷を学び、倶楽部組織や日照条件等の管理手法の技術的側面からコースの在り方を模索する硬派な独立系設計家。烏山城CCコース委員