株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 連載・ゴルフ場セミナー誌 2001年10月号    出版社:ゴルフダイジェスト社
 (1)「トム・モリスの国から」(連載第26回)

日本の100年祭と英国の一世紀
 日本のゴルフ百周年の行事が色々と企画されているが、英国でも創立百周年を迎える倶楽部がたくさんある。
海岸沿いのリンクスコースは19世紀末に開発された所が多く、近年はロンドン近郊などの内陸コースがそろそろ創立一世紀を迎えつつある。
大抵が『最初の百年』などと銘打った倶楽部史を編纂するのだが、倶楽部史専
門の売れっ子ライターも存在する。
今回は英国の一世紀と日本のゴルフ百年を比較してみたい。
 大雑把に言えば130回を数える全英オープンの歴史はそのまま近代ゴルフの
発展の歴史でもある。それ以前つまりトム・モリス以前はルールもクラブ毎に
異なり、ゴルフはエジンバラ近郊の郷土娯楽の域を出なかった様に思う。
 スコットランドの東海岸から西海岸を経てイングランドに南下したゴルフは、
そのまま世界中に広まっていったが、同じ頃ロンドン南西部の住宅地の傍に新
たな可能性が生まれつつあった。内陸型コースの誕生である。
初めはスコットランドからプロゴルファーが呼ばれてきて、海岸沿いと同じ手
法でコースレイアウトを決めていたのだが、リンクスコースを研究した知識人
達も次第に意見を言うようになってきたのだ。
ハリー・コルトやマッケンジーなどのゴルフコース専門の設計家の出現は、
その後のゴルフコース開発をほぼ決定付けた事件だと思う。
丁度一世紀前の今年、コルトがサニングデールの支配人になっているから、
日本のゴルフ百年はそのままコース設計家の百年でもある訳だ。
 別の意味で全英オープンのほぼ半分の歴史をもつ米国のマスターズトーナ
メントは、ゴルフコースとプレーヤーの技術の変遷史を雄弁に語っている。
オーガスタナショナルの開場時期とスチールシャフトの開発時期は奇妙なほど
一致しているのだ。
 さて、最初日本には英国から直接ゴルフ文化が入ってきたのだが、その後の
大戦を契機に米国からの影響が強くなった。コース設計手法、管理手法、プレー
ヤーのマインド総てがアメリカの西海岸を向いていたのだ。この現象は日本だ
けのものではなく欧州でも同様であった。
 十数年前、米国の管理手法を取り入れた全英オープンの開催コースが軒なみ
窒素過多でやられたことがあった。
その後USGAの研究が実を結び始め、英国の内陸コースのグリーンも随分良く
なったのだが、リンクスコースは過去の苦い経験からか米国と違った管理手法
を模索し始めた。
 一方日本のコースは、管理手法が年々進歩してきているのにもかかわらず、
設計手法が開場当時のオリジナルを忠実に守ろうとし過ぎているうように思う。
欧州では一般的に十年毎に改修を繰り返すのが普通で、中には原形を留めない
ような悲劇的な改悪例もあるが、大抵はメンバーの技量や年齢の変化に呼応し
てコースも熟していくようだ。
改修工事は普通専門の土木業者には頼まず、コミッティーとデザイナーと
グリーンキーパーだけでやってしまうからあまりコストも掛からない。
新規のバンカーを造るのに500〜1000ポンド(15万円見当)の材料費と別に労賃
である。
 日本のゴルフ百年について不謹慎だと思われるかもしれないが私見を述べると、
あれではすっかり総論になってしまっていて、過去に犯した間違いを洗いだす
事もせず、歴史の彼方に葬り去ってしまおうとしている行為に見える。
ゴルフは高々百年の歴史しかなく、現在進行形で発展途上なのだ。と言う視点
に欠けていると思うのだ。
百年など立ち食い蕎麦屋の歴史よりずっと短いのだ。