株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 連載・ゴルフ場セミナー誌 2002年10月号    出版社:ゴルフダイジェスト社
 (1)「トム・モリスの国から」(連載第38回)

トム・モリスの最期
 トム・モリスの死にざまは、セント・
アンドリューズのニュー倶楽部
(18番の右側にある)内でクラブ
メンバーの友人達に見取られながら、静かに息を引き取った。
などと書かれることが多いのだが、
事実はクラブハウス内に2つある階段
のうちの裏階段(コース側で彼の工房に近い方)を転げ落ち、首の骨を
折って
死んだらしい。
ゴルフ界の先達としては何とも情けない最期だが、彼の名誉のために事情を
説明して、釈明しておきたい。
 若い時分の彼は自己顕示欲と野望に満ち溢れていた。
フェザリーボールからガッティーボールへの進化を利用して先輩のアラン・
ロバートソンを追い落とし、折りから始まった全英オープンを売名行為に利用
して一気に時代の寵児となり、名声を欲しいままにしたのだ。しかし現代にお
いて彼のスィングを真似る人などおらず、記録として戦歴が残っているだけ
だが、近代ゴルフとゴルフコースの骨格を創りあげた功績は高く評価されるべ
きだと思う。
 彼の息子のヤング・トム・モリスの妻が出産の際に亡くなり、失意のヤング・
トムも後を追うように亡くなった事はご存じだと思うが、最愛の息子と生れて
くる筈だった孫を失って、トム・モリス自身も自暴自棄に陥ったらしい。
元々好きだった酒の量が増えてボロボロになるまで呑むようになり、最後は皆
から愛想を尽かされていたようだ。
つまり彼は泥酔状態で階段を踏み外し、名声や友情とは無関係な末路を向かえ
たのだ。
彼のような豪傑をしてこのような有様だから、つくづくゴルフは人間味のある
スポーツでなければならないと思う。
 科学的根拠と国際常識を起点にゴルフを見つめ直す事を提唱してきたつもり
だが、最終的にゴルフは人間自身が行うスポーツだということも認めなければ
いけない。
科学的なデーターは数値化した途端一人歩きを始め、無意味な競争を産みやす
いからだ。
グリーンの状態にしてもスティンプメーターの数値はプレーヤーから見た
グリーンの全体像を反映してはいない。
我々が求めているのは、一番傾斜影響を受ける角度からカップを狙う場合、
4feet(約1.2m)以上離れるとカップを外して狙わなければならないような速さ
と傾斜の相関関係ではないだろうか?
3feetならばカップの端を狙って強めに打つことも勇気があれば可能だが、それ
以上の距離を残したということは、それ以前のアプローチをも悔やむ事になる。
それが次のパットの手元を狂わせるからゴルフは人間臭く、また面白いのでは
ないだろうか。
つまり傾向として平板なグリーンは速く仕上げ、アンジュエーション豊かな
グリーンは全体の調和を乱さない程度に遅くすべきだと思う。
 もう一つ人間臭いという意味から、グリーンキーパーや管理者にとっても怖
いのは、思い込みや先入観に囚われてしまう事だと思う。
本人が矛盾に気付く事は稀で、固執してしまうため、問題を複雑にしているよ
うだ。
もう二十年以上前の話しだが、鹿児島から上京してきた友人との笑い話しを
紹介しよう。
彼は男尊女卑の風潮が残る土地で育ったためか、女性の入浴した後の風呂には
入らない主義だと豪語していた。
そこで、一緒に入らないかと誘われたらどうするのか聞いてみたのだ。彼は恥
ずかしそうに顔を赤らめながら『それなら良い』と小声で答えたのだった。
 この夏を最後に一時的に英国生活を切り上げ、日本に帰ることになりました。