株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 月刊ゴルフメイト誌 2003年4月号                 出版社:丸善
  「迫田耕のアカデミック講座」(連載第5回)

ボールやクラブなどの道具について
 今回は少し趣向を変えて、ボールやクラブといった道具の話しです。
原始的なゴルフでは石ころを羊飼い達がボールとして使っていた事はご存知だと思います。
その後、ガチョウの羽毛を皮袋に詰め込んだフェザリーボールが長い間使われてきましたが、作りにくいためかとても高価だったそうです。

当時セント・アンドリューズ付近には沢山のボール公房がありましたが、羽毛
から出る細かい埃のために胸を患う職人が多かったそうです。
セント・アンドリューズという街は、ゴルファーにとっては聖地ですが、大学を
中心にした学園都市でもあります。中でも神学が有名でキリスト教だけでなく
イスラム教や仏教の研究もされていたのです。

あるとき、マレーシアから木箱に入った仏像が送られてきたのですが、仏像を
守るクッション材としてマレーシア特産のゴムが使われており、それを利用して
ガタバチャ−ボールが発明されると、ボールの価格が庶民の手の届く範囲になり、
一気にゴルフブームが起きました。

またフェザリーボールの時代は、球を傷めるためかロングノーズと呼ばれる
木製のクラブしかありませんでしたが、ガッティーは丈夫ですから金属製の今
で言うアイアンクラブも登場してきました。
150年ほど前の逸話をもう一つお話しておきましょう。
読者の皆さんが良くご存知のトム・モリスはガッティーボール推進派、先輩の
アラン・ロバートソン(史上初のプロゴルファー)はフェザリーボール擁護派で
互いに譲らず、とうとう喧嘩になりました。結局トム・モリス親子はセント・
アンドリューズを離れてグラスゴー近くのプレストウイックに行き、そこが
全英オープンの発祥地になったのです。

という事はボールの進化がなければ、ゴルフは相変わらずスコットランドの
東海岸だけに留まった郷土娯楽だったかもしれません。
 その後ボールはラバーコアや糸巻きボールを経て、最新のウレタンカバーを
持つボールへと進化してきました。スモールボールや故意に飛距離落とした
ケイマンボールなども懐かしい思い出ですが、各時代のボールの飛距離を
比べてみると、その進化の早さに改めて愕然としてしまいます。

いまやタイガー・ウッズはドライバーで300ヤードもキャリーするそうですが、
もし彼がフェザリーボールを使ったら180ヤードぐらい、ガッティーボールでも
220ヤード程度しかキャリーしないはずです。
無論、ランはそれ相当に延びるでしょうが、キャリーとランの割合が変化する
わけですから、攻め方を考え直さなくてはならないでしょう。
逆に言えば、ゴルフはランを主体にした地上戦からキャリーを重視した
空中戦へと変化し続けているのです。

 先程、アイアンクラブの起源についてはお話しましたが、進化の途中では
現代から考えると奇想天外なクラブも多数存在しました。
馬車の轍やウサギの巣穴から脱出するためのラットアイアンは、ちょうど
耳掻きのような形状です。
また、水溜りや深いバンカーで使うために開発されたアイアンのフェースには、
抵抗を減らすために大きな穴が開いていました。
クラブの本数削減のためにロフトを変えられるクラブやフェースの中ほどが
凹んでいるクラブなど、ゴルファーの失敗の数だけクラブが存在するようにも
思えます。

 これらの中で現代でも通用するクラブはありませんが、1920年代に
イタリア系米国人のプロゴルファー、ジーン・サラセンによって開発された
サンドウェッジは形を変えながら80年もの間使われてきました。
航空機の発着時に揚力を増すために使われる翼のフラップにヒントを得て
作られたと伝えられていますが、実はもっと大きな発想の転換があったように
思えるのです。

クラブをバンカーにたたきつけ、砂を爆発させて砂の圧力によってボールを
バンカーから脱出させる手法は彼以前にはありませんでした。
それを容易にするために砂の中に潜り難い形状のソールを開発したというのは、
直接の因果関係のみに固執しがちな現代の警鐘に思えるのです。