株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 月刊ゴルフメイト誌 2004年4月号                出版社:丸善
  「迫田耕のアカデミック講座」(連載第17回)

オーガスタ・ナショナルの生い立ち
暖かい春を迎え、今年もマスターズの季節になりました。
今回は、メジャーの幕開けに相応しいオーガスタ・ナショナルの生い立ちや特徴についての話です。
マスターズトーナメントは70年ほど前に始まりましたが最初はオーガスタ・ナショナル・インビテーション・トーナメント(招待競技)と名付けられていました。
現在でも独自の選考基準を持った委員会が、各選手に招待状を送ります
オーガスタ・ナショナル・ゴルフ倶楽部は最後までアマチュアゴルファー
として
数々の国際大会に優勝し、1930年に競技生活から引退した球聖
ボビー・ジョーンズ氏とその仲間が、英国から渡ってきた設計家のアリスター・
マッケンジー氏の協力を得て1933年に開場しました。
それは1929年に同氏の設計したサイプレスポイントをプレーしたボビーが
その設計手法に感激して、強く推薦したからだと言われています。
敷地はベルギー人のバーグマン男爵が元々の持ち主でしたが、彼は世界中から
色々な植物を集めて販売する会社を経営しており、コース用地は丁度植木屋さん
の畑のような状態で花梨やスモモなど日本産の植物も数多くまれていました
余談ですが季節の花が咲き乱れ小川が流れるこの土地の価格は当時のお金で
7万ドルだったそうです。

 世界恐慌から立ち直りつつあり、希望に満ち溢れた米国を象徴するように
華々しい歴史を刻んできたマスターズトーナメントは、色々な意味で新天地を
切り開いてきました。
例えば、今では普通に行われているパーベースのストロークプレーは米国では
マスターズトーナメントから一般的になりました。
ボビー・ジョーンズ氏は対戦相手やホールによって一喜一憂せずプレー中
ずっと緊張感を持続させるためパーおじさんと一緒にプレーするという概念を
提唱し、それまでのマッチプレーに替わる競技方法として定着させたのです。
オーガスタナショナルは当初アウトとインが現在と逆に設計されていました。
前半でリードを稼ぎ後半を堅く収めて勝利するという英国伝統のマッチプレー
に適したレイアウトだったのですがストロークプレーでは後半に劇的な演出を
する方が面白いので、前後を入れ替えたのかもしれません。
特に11番の2打目から13番の1打目までを通称アーメンコーナーと呼び、激しく
スコアーの動く見せ場として人気があります。
可能な限りフェアウエーの幅を広げ戦略設計の可能性とセミラフの存在意義を
ゴルフ界に問いかけたのも、オーガスタ・ナショナルです。
またマスターズトーナメントの歴史は、ヒッコリーシャフトからスチールシャフト
の転換期とも一致しますので、米国ゴルフの隆盛の物差しでもあるわけです

コースレイアウトの観点からオーガスタナショナルのスコアーカードを見ると、
前半の9ホールも後半の9ホールも、パーの並び方が其々左右対称になっており、
3つ以上パー4が繋がる事がありません。
パー3は其々別の方向を向いており、似たような印象を受けるホールもありません。
ホール構成の理想を追求したと言われる所以です。
また、毎年コースに手を加え続けてプレーヤーの進歩を促し常に最新の管理を
目指す真摯な姿勢など、世界中のゴルフ関係者が注目するのも頷けるでしょう。
さて、オーガスタは広島市とほぼ同じ緯度にあるとても暑い街です
ですからボビー・ジョーンズ氏は、当初このコースを冬場専用として計画して
いました。また、バンカーの数も最小限に抑え、わりに小川や池を使う事を
意図していました。
開発当初に比べると、芝種の改良によってエバーグリーン化しましたし、
バンカーの数も2倍以上に増え、グリーンなどは地下に配水管を利用した冷暖房
設備さえ備わっています。
80人もいるグリーンキーパーマスターズトーナメントと300人余りのメンバー
のために本当に一生懸命働いているのです。