株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 月刊ゴルフメイト誌 2005年2月号                出版社:丸善
  「迫田耕のアカデミック講座」(連載第27回)

日本式セルフプレーについて

今回は最近多く聞かれる日本式セルフプレーについて考えてみたいと思います。先ずは、旧来のキャディーシステムの事からお話ししてゆきましょう。

ゴルフが15世紀にスコットランドで流行りイングランドに南下する19世紀前期までの数百年間はクラブセットといっても精々6本程度で、王侯貴族の女性ならともかくゴルファーはプレー中も自分の
クラブセットを自分で運ぶのが当たり前でした。考えても見てください。当時の
風習からみても、自分の刀や弓矢を他人に託して戦場に赴く兵士など考えられ
ませんし鍬や鎌を持たない農民など居るわけがありません自分の得物は自分で
携行するのが、ごく自然な成り行きだったのです。

因みにキャディーの語源はゴルフ好きのスコットランド女王メアリーがお付き
の小姓達(フランス語でカデット)にクラブを運ばせた事からだと言われています。
彼らの役目はクラブを小脇に抱えて運ぶことに加えリーン上で旗を持ったり、
ボールをティーアップしたりすることでしたがもっとも大切な役目はできるだけ
静かにしている事だったと言います。

彼らは現代のキャディーさん達と違い、距離や方向のアドバイスなどしませんし、
パッティングのラインなども読みません。それらのジャッジメントは、ゴルフの
最も基本的な楽しみと考えられていたので、その楽しみをご主人様から奪うなど
とんでもないと考えられていたのです。

また、現在では普通に行われているグリーン上のボールをマークして持ち上げ、
付着している異物を綺麗に拭くことなど、ルール上からもできない時代だったの
です。キャディーバッグは、ずいぶん後世の19世紀末に開発されましたから
それまでの長い間プレーヤーは使用クラブを裸のまま小脇に抱え、海岸縁の起伏
のあるリンクスランドを歩き回っていたようです。なんだか源平合戦当時の弁慶
法師のようで、ユーモラスな光景だったでしょう。

19世紀に入ると、体力が衰えてしまい自分ではクラブセットを担いで回る自信の
ないプレーヤーなども、キャディーフィーを払って帯同プレーを始めました。倶
楽部キャディーシステムの過渡期には、ポニー(小型の馬)に跨ってプレーする人
までいたそうですが、ショット毎に乗り降りするのは、さぞ大変だったでしょう。

トムモリスがセントアンドリュースのグリーンキーパー兼キャディーマスター
になった1864年の通達によれば、11歳以下のキャディーを使ってはならないと
定められていますし、1875年のR&A(ロイヤル&エンシェント・ゴルフクラブ)の
通達では、キャディーの最低年齢は13歳に引き上げられていますから、元々は
少年たちのお小遣い稼ぎだったのかもしれません。

しかし気心の知れたキャディーをいつも使いたいと思うのも人情らしく徐々に
ゴルフ倶楽部専属のキャディーも認められ職業として確立していったようです。
記録によれば当時の倶楽部キャディーは、コース内では帽子を被り、倶楽部から
与えられたバッジを着けなければならなかったそうです同時に新米キャディー
と経験豊富な者とを区別する必要も生まれ、優秀な者はファーストクラス・キャ
ディーと呼ばれました。現代英国でも、経験の浅い学生アルバイトはバッグ
キャリアーと呼ばれ、正規キャディーとはっきり区別されています。彼らは
グリーン上でパッティングラインを読む義務はなく、ハザードの位置や方向を
プレーヤーに伝え、ゴルフバッグを担いで球探しをするのが主な仕事です。

現代の欧州の話しが出てきましたので、欧州のゴルフ場とキャディーの平均的な
姿もお伝えしておきましょう。驚かれるかもしれませんが、欧州でキャディーが
常駐している倶楽部は極僅かです。正確に調べたわけではありませんが全体の5%
以下、感覚的には観光地やお金持ちが集まる倶楽部に限られていると思います。

殆どのゴルフ場ではパブリックであれ地元のプライベート倶楽部であれ全ての
プレーヤーが自分のゴルフバッグを自分で運びながらプレーするのが普通です。
若者は近代的なダブルショルダーのバッグを担いで回りますし壮年のプレーヤー
はトロリーと呼ばれる手引きのカートを使うことが多いようです。

また20年ほど前に電池で動く電動トロリーが開発され現在では老齢のプレーヤー
の多くが使っています。最近一人乗りの電動常用カートが発売されましたが
使用制限を設けている所が多く、身体障害者のみ使用可能としている倶楽部が
大半です。つまり現代の欧州内では、キャディーの職業としての専門性が高く
日本と違って1人のプレーヤーに1人のキャディーが付くのが基本ですから、キャ
ディーフィーも高くなってしまうようです。

欧州の人達は基本的に倹約家が多いので、ゴルフをする時も出来るだけ出費を
抑えるように考えるからかもしれませんが、マッチプレーの相手がキャディー付
だと明らかに不利ですので公平を期して全員がセルフプレーなのかもしれません。

さて、我々がゴルフバックに入れることができるクラブの本数は、現在では14本
に制限されていますところが1930年代後半まではその制限がなく当時の平均的
なゴルファーでも20本以上のクラブをゴルフバッグに詰め込んでいたそうです
20世紀に入り、新しいボールやアイアンクラブが相次いで開発されてきた事も
一因でしょうが、それを担がされるキャディーはたまったものではありません。
クラブが2ダースとボールが同じく2ダース、予備のゴルフシューズが左右一足ずつ、
防寒着一式と軽食、雨合羽と傘と頑丈な革製のキャディーバッグを合計すると、
少なく見積もっても30kgは下らないでしょう。

1938年ついにR&AとUSPGAはクラブの本数規定を14本にすることで合意しやっと
英国のキャディーは割りの合わない重労働から開放されたのです。考えてみれば、
ゴルフが世界各地で行われるようになり、広大な土地を持つ米国に渡ってから
ゴルフとキャディーの関係は大きく変化したようです。

第2次世界大戦後のゴルフブームに乗って作られた米国のゴルフ場は、こぞって
乗用カートを導入し、現在でもその歴史からか米国スタイルのゴルフコースでは、
カートがフェアウエーまで乗り入れ可能であることが特徴です。英国式のセルフ
プレーとは違いますが、車で移動する文化を反映した形態です。ただし、あまり
にも一般的になり過ぎているためか、米国では乗用カート使用したゴルフを
セルフプレーとは呼びません。

戦後米国の影響で作られたアジアのゴルフ場では、其々の国の事情によって、
キャディーシステムは英国式ともアメリカンスタイルとも違う発展をしてきました。
女性がキャディーをする事も一人のキャディーが3人以上のプレーヤーの面倒を
見る事も、以前には余り例のないことでしたがそれなりの発展を遂げてきたよう
です。

ここで結論めいたことを書くつもりはありませんが、ゴルフメイトの読者の方に
機会があれば試して頂きたい事があります。自分の普段使っているゴルフバッグ
を背負って、ラウンドしてみて欲しいのです。理由は使いもしないクラブを
バッグから抜くため、2つめはキャディーさんに頼らず独り立ちできるゴルファー
になるため、最後にいつも苦労を掛けているキャディーさんに感謝の心を持って
もらうためです。

もし完璧なセルフプレーのゴルファーが、4人1組でハーフ2時間以内に回れたら、
きっと今までのゴルフとは違った景気が見えてくると思います。