株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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 月刊ゴルフメイト誌 2005年6月号                出版社:丸善
  「迫田耕のアカデミック講座」(連載第31回)
 
コース設計の仕事

のっけから私事で恐縮ですが、今年の6月から家族共々ロシアに移住する事になり、国内の仕事の残務整理と渡航準備(有体に言えば引越し準備)に忙殺される毎日が続いています。

この機会に今までお話したことがなかったコース設計家になった経緯や、国内外のゴルフ関係者の差異、家族の事などを纏めてお話ししましょう。先ず初めはロシア行きの件ですが、前回前々回同様、家人の海外赴任が直接的な原因です。妻は某自動車会社に勤務し海外営業を担当しているのですが、92年から94年までの2年間と、97年から02年までの5年間は英国勤務を命じられ、家族(小生のことです)同伴でロンドン近郊に暮らしておりました。つまり、92年から2002年までの十年間の内の七年間の英国滞在中は妻の扶養家族で、料理がとても上手くなった他に、「英国ゴルフ場設計家協会学士会員」の称号が手に入ったという事になります。帰国後2年半が過ぎ、妻の次の赴任地がモスクワになったので今回も同伴するというわけです。

思い返せば92年当時、女性が海外駐在する事自体が珍しく、まして夫を同行するなど前代未聞で、我々はその意味で日本初のカップルなのだそうです。女房子供を養ってこそ立派な日本男子であると言う人もいらっしゃると思いますが、体力を必要としない事務職は女性でもできるわけですし、建築にせよコース設計にせよ、「他人の褌で相撲を取る」事に変わりはありません。レオナルド・ダ・ビンチの昔から、パトロンなくしては文化の華など望むべくもなく、近年の日本では文化の庇護者になるべき立場の人が率先して目先の利潤に群がる傾向があるようなので、事態は深刻に感じています。

さてコース設計の仕事ですが、世界的に見てもきちんとした職能が確立されているわけではありません。新設コースの基本レイアウトを決める事から、グリーンキーパーから受けた雑草駆除の方法に関する質問に答える事まで、内容は多義に渡ります。当然設計者によって得手不得手がありますし、誰が設計者を雇うかといった現実的な問題もあります。倶楽部組織が発注者ならばコースの戦略的な側面が強調されるでしょうし、レジャー施設の経営者が発注者ならば営業的に利潤の上がりやすい事に関心が集まるでしょう。日本では10年ほど前に「ゴルフコース設計者協会」が設立され、現在の正会員は40名ほどですが、そのメンバーの構成比が日本のゴルフを象徴しています。若い時分にトップアマチュアで現在はテレビなどの解説をしている有名人が数名と、残りは大手ゼネコンの土木部長さんが多数で、私のような独立系の設計者は極僅かです。

つまり、ゴルフが投機目的を含んだレジャー産業として発展した日本では、会員権販売の広告塔か大規模土木工事の施工サイドの人達がゴルフビジネスを牽引してきたとも言えるでしょう。更に、日本では基本的にコース設計をするのに何の資格も必要ありませんから、ゴルフメイト読者が「今日から俺はコース設計者だ!」と表明しても、国内で活動する限り何の問題もありません。幸いなことに、共産党の一党独裁体制が崩壊したロシアは現在では欧州の一員ですし、私は欧州ゴルフコース設計家協会の会員でもありますから、もしかしたらロシアでゴルフ場建設に立ち会う機会があるかもしれませんが、北の大地に相応しいコースがどのような形なのか今のところ見当がつきません。

ところで私がコース設計家になった経緯ですが、全く偶然の産物です。美術学校で建築を学ぶ以前からゴルフというスポーツが好きで、ゴルフ部を創設して対外試合などはしていましたが、趣味としてしか考えていませんでした。大学の卒業制作でゴルフ場をテーマに選びましたが、担当教授から「屋根の掛かっていない物は建築とは認めない」などと言われて慌てたのを覚えています。卒業してしばらくの間、日本はバブル経済に沸き、先輩の紹介で私にもゴルフ場のクラブハウス設計の仕事が舞い込んできました。数年掛りでクラブハウスが完成間近になった時、突然ゴルフコース設計者と称する人が現れて、クラブハウス前に奇妙な形の練習グリーンを提案したのです。そこで色々画策し、その設計者を排除して自分で練習グリーンのデザインをした事が、コース設計のきっかけでした。その後新設コースの基本レイアウトを20箇所以上やったと思いますが、英国に渡航したせいもあり1箇所も実際の建設までは至っていません。

つまり、バブル経済の恩恵に浴していないわけですが、今から考えると逆に良かったと思えるようになりました。その後日本と全く違った英国のゴルフ環境を経験できた訳ですし、雑誌の取材で知り合った設計家の紹介で、英国ゴルフコース設計者協会付属の学校にも入り、古典的な理念から現代的な設計手法まで、体系的に学ぶ機会が得られたからです。この学校では日陰をテーマにした卒業論文を書きましたが、これは日本の建築で使われる日影規制のコンピューターソフトを応用したものでした。ご存知のように欧州は緯度が高く、太陽が低い位置を通るので、歴史のあるコースでは樹木が高く生長しすぎて、コースの美しさと反比例して芝の日照被害が深刻だったためです。これ以後欧州でもコースの植栽計画に同様の考え方が使われるようになり、ゴルフを学んだ英国にも恩返しができたように感じていますが、卒業論文の提出時には「シャドー」というありがたくないニックネームを頂戴しました。多分有色人種という意味と、日本のゴルフ環境の恥部を揶揄した言葉であることは想像がつきましたが、事実なので如何ともしがたく悔しく感じました。

さて、ゴルフメイトの連載も最後になりますが、拙い文章にお付き合い頂きありがとうございました。職業柄ゴルフ関係者に説明する機会が多く、一般のゴルファー向けに噛み砕いた解説はしたことがないため難解な説明だったかもしれませんが、逆に事態の経緯と本質を改めて考え直す機会となり、本人は結構楽しんで書きました。また思いつくまま書きなぐったため、とりとめのない話題で反省しています。最後にゴルフの将来についても記しておきたく思います。投機的な意味では今後もあまり期待できるとは思いませんが、ゴルフ本来の未来は悲観するものではありません。狭い国土の中に世界第3位にあたる二千数百ものコースが存在することが、適正な数であるかどうかは議論の余地はありますが、ゴルファーの多様なニーズと趣向に合わせた対応ができれば、必ず希望する形が見えてくるでしょう。