毎夏英国に大挙してやって来る米国や日本のゴルファーは、あまりのゴルフ環境の違いにビックリして、思わず口を滑らしてしまうようだが、野っ原だとか河川敷だとか悪口を言う前に、考えておかなくてはならない事が沢山ある。
テニスでは実力差のあるプレーヤーが対戦した場合、95%以上の確立で
強い方が勝つそうだが、ゴルフのストロークプレーでは、上位5%の実力者には
誰にでも優勝するチャンスがあるのだそうだ。
今回は、実力の勝るプレーヤーに、より有利になるように考え続けられてきた、
ゴルフコースの歴史と変遷を追って、考えてみたい。ハザードの配置の仕方に、
科罰型、戦略型、英雄型が在る事ぐらいはゴルフ関係者なら常識としてご存知
だと思う。
実はその前に大前提としての、フェア(公正)であるかどうかの検討が重要であり、
ルール上のハザードたるバンカーやウォーターハザード以外の、ラフやOBや
樹木やフェアウエーの起伏も含んで考えるのが、一般的であり必要な事である
事が、十九世紀の初頭から力説されてきた。
しかし、このフェアと言う考え方は、競技方法やプレーヤーの技量によっても
捕らえ方が異なり、問題を不明瞭で複雑にしてきた。例えば、ストロークプレー
で行われる大会で競技参加者が多い場合、スタート時間の差からコース条件が
大幅に違う事もあるが、その可能性は競技会が開催される以前から判っていた
事で、それを承知で参加申し込みをした競技者達は、その話はしてはならない。
その意味から、欧州では未だにストロークプレーよりもマッチプレーの方が、
厳正で好ましい競技方法だと認識されている。
更に、いかなる天候であっても総てのプレーヤーが同一条件で戦っていると
いう前提だから、雷などでプレー続行不可能だと思う時以外は、コースや管理に
対する不平不満を漏らす事も、自分の無知を曝け出す以上に、大会開催者に失礼
であると考えられている。
一方で、ミスショットがその度合いに応じて(対してではない)適正な罰を加え
られたかどうかは、もっと議論されるべきだが、多くの場合、アンラッキー(不運)
と混同されがちで、運不運を極力配したコースが良いとの、間違った認識が流布
するに至った。近代に作られた米国のコースは、広く平坦なフェアウエーを持ち、
当時の米国の考える公正の概念を具現化していると、持て囃された。しかし、
強く力のある者が必ず勝つゲームは、多くの敗者にとって楽しいものではない。
80年代初頭に米国から起こったリンクス回帰運動は、枕木やマウンドの
リバイバルばかりが採り上げられるが、本質的には運不運、即ち多様性の復権
だったのだ。
努力や才能の結集が、必ずしも正当に評価されない場合もあるかもしれないが、
それを乗り越えて我慢強くプレーし続ける事だけが、勝利への方法だと気付いた
時に、ゴルフゲームはもう一つ高い次元の、精神性を手に入れたのだ。現代に
おいてさえ、公正でありながら運不運が混在するコースは、批判の対象になる
事もあるが、それらの意見は、極端に浅薄な物であると言わざるを得ない。
ここで設計者がより公正だと考えたバンカーの配置を例に、歴史を振り返って
みたい。
セント・アンドリュースの場合は、見えないバンカーが数多く存在し、その位置を
記憶している者が有利になる。つまりゴルフは原始的な記憶ゲームであったの
だろう。一方、アメリカに渡って成功したドナルド・ロスは、砲台グリーンの
奥には決してバンカーを作らなかったそうだ。これは彼がバンカーを、
ゴルファーの想像力を裏切らず、自制心を試す場所として捕らえていた為
だと思う。
時代は前後するが、トム・モリスがレイアウトしたミュアフィールドは、全ての
バンカーがティーインググラウンドから見える事に大きな特徴がある。言う
までも無く、ハザードの気配が始めてのプレーヤーにも感じられた方が、
より公正に近いとの判断である。
さて読者は、3つの例でどのレイアウトがお好みですか?
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