株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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月刊 ゴルフ場セミナー 2012年4月号 発行:ゴルフダイジェスト社
連載コラム グローバル・アイ  第111回
 
ゴルフを止める時
 四月にハンガリーに来てから丸2年になったが、一度もゴルフをプレーしていない。
歳をとって上手くプレーできないから?かもしれないが、他に原因がありそうに思えるので、今回は逆説的な意味からこの事を考えて見よう。
言うまでもなく、小生を反面教師にしてゴルフ場に足を運んで貰えるような仕掛けを考えて欲しいからなのです。

 前にもお伝えしたが、ハンガリーのゴルフ人口は1200人程だから、旅行者や外国人駐在員が主たるプレーヤーだろうが、腰掛の部外者ばかりで倶楽部の理念が不明快だ。
ブダペスト近郊には3箇所ゴルフ場があるのだが、ホームページを見る限りどこも魅力的なコースには思えない。
敷地が平坦すぎるのは仕方ないが、特徴的なホールはなくレイアウトというよりは単調なParの羅列に近く、そのくせ伸びやかさに欠ける。
ハンガリーの労働相場は安く月十万円も出せば人材は集まり寡黙に良く働く。
が、逆に言えばゴルフはお金持ちの娯楽と認識されていて、旧共産圏ではお金持ちは既得権益を振り回すお行儀の悪い連中とほぼ同義語だから、ゴルフに誇りを持てなくなった。

 ゴルフ黎明期のゴルファーもお金持ちだったが、彼らは既存勢力に対する新興勢力。
産業革命の富でのし上ってきた成り上がり者達だった。
それゆえに、彼らは倶楽部を社交の場ととらえ、ストイックなルールを作り(自分に不利益な裁定が清く正しい?)、既存勢力の価値観とは違う新たな価値基準を自分達の誇りにしようと努力したのだ。
結果的に工業化が上手くいった先進国では皆が豊かになったが、時代が進むに連れて小市民的な考え方をするゴルファーも現れたのだ。それは自然の成り行きだとも思う。
でも、自制心や誇りのないゴルファーはスカンなぁ。
余談だが人間社会の性で、どんなに貧しい国でも千人から一万人に一人はお金持ちになるものだ。 アフリカでもインドでも中国でも同じだと思うが、分母が大きいと超大金持ちも現れるのだ。

 もう二つ、自分を含めてゴルファーは自慢したがり、褒めて貰いたい生き物なのに、ハンガリー語が喋れないし、歳のせいか他人を褒めるのが億劫になってきた。
欧州危機の真っ只中だというのに、政治は国民の受け狙いばかりで、施策といえばポテトチップス税だし、消費税は日本の5倍以上なのに自国に産業は育っていない。
そういう国をどうやって褒めようか?と考えただけでゴルフから足が遠のいてしまう。
つまり、小生にとってゴルフの魅力はラウンド中の会話も重要な要素なのだ。

 最後は、本当に下手になったという話。
小生が予め決めていたゴルフを止める時の条件は、十本未満のクラブを肩に担いで、三時間半以内で歩いてラウンドし、90を叩かない事だった。
無論この条件を満たせなくなった時がクラブを置く時だと思っていた。が、
携行クラブは当初ウッド1本(普通は2W)と偶数番手のアイアン4本、ウエッジ2本とパター。という組み合わせだったが、2鉄の代わりにショートウッドを入れたくなり、グリーンをこぼすからジガーを入れたくなり、最後は飛距離が欲しくて,曲るのが判っているのに1Wを入れたくなってしまったのだ。
小生の美学は何処に行ってしまったのか?
諸兄は自分がプレーしなくなるのはどんな時か、考えた事がありますか?