株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
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月刊 ゴルフ場セミナー 2012年7月号 発行:ゴルフダイジェスト社
連載コラム グローバル・アイ  第114回
 
The Openの歴史的な位置付け
  The Openの季節だ。 今年はリバプール近郊の1886年創立リザム&セントアンズが舞台だが、良い機会なのでメジャー大会について雑感を述べておこう。
八十年以上前の球聖ボビー・ジョーンズの現役時代(彼はグランドスラムの達成者)当時の世界四大大会は、英米それぞれのオープン競技とアマチュア大会だった。
彼の引退後マスターズがメジャー入りし、職業ゴルファーが卑下されない時代になって、四大メジャーの中の三大会が米国だけで開催されるようになってから半世紀も経つ。
メジャーという言い方は米国ジャーナリストが使い始めたのだろうが、全世界の六割強のコースが米国に存在する事を勘案しても米国偏重だ。
既得権を考えずに純粋に世界のゴルフ分布から見ると、英米のオープン競技と環太平洋、環大西洋地域(毎年どちらかが北米大陸で開催)、それにマスターズの五大会をメジャーとするのが適正なバランスだと思うが、実現するには強烈な政治力が必要だろうなぁ。

 日米風の全英オープンという呼び名(英国人は決して認めない)は、リンクスコース限定で、過去に14コースが開催地になっているが、最近では五年毎(0と5の年)にR&Aのお膝元のセント・アンドリュースに戻るのだ。
地域別に見ると、エジンバラ近郊が4コース、グラスゴー、リバプール、ロンドン近郊がそれぞれ3コースずつと、北アイルランドが1コースだ。
ロイヤル・リザム&セントアンズに話を戻すと、皇室との関係を示すロイヤルの称号は英国内で三十数倶楽部が持っており、総倶楽部数との割合という観点から見ると日本の社団法人ゴルフ倶楽部数と近しい。(どちらも1%強)
17世紀から18世紀にかけて英国は三角貿易で栄えた。
リバプールからは繊維製品を積んで西アフリカに南下し、積荷を奴隷に変えて大西洋を渡り、アメリカ大陸で綿花を買い付けて英国に戻るのだ。
アメリカの独立戦争は1783年に終結し、アメリカ全土で奴隷制度が廃止されたのが1865年だから、セントアンズ創設の二十年前までは三角貿易は続いていたはずだ。
コースができる数十前まで、このリンクスがどのように使われていたか?は、ブラックプールという地名から想像するしかないのだが、英国人はこの歴史的事実を当たり前だが語りたがらないのだ。

 現在のコースは1919年にH.S.コルト氏が改修したレイアウトを基にしているが、河口の土砂堆積により海から500mも離れてしまい、住宅地に囲まれて敷地拡張の余地が無く危険だと思う。
更に東西に長い敷地の西端にあるクラブハウス位置が最低最悪で、朝日に向かってスタートし、夕日に向かってフィニッシュするのだ。
一方、男性で21女性は30以下のハンディキャップなら誰にでもプレーするチャンスがあり、グリーンフィーは冬場が1万2千円、夏場の平日と日曜日が1万7千円、土曜日が2万5千円ほどだ。
無論この金額は訳の解らない諸経費等はなく、プレーヤーが支払う正味金額である。
さて、長々と世界有数の著名コースであるセントアンズの歴史的な位置付けを説明してきたが、目的は諸兄の所属倶楽部と比べても好条件に恵まれている訳ではない事を再確認して欲しいからなのだ。
見方によっては呪われた、狭く囲われた敷地に、褒められないレイアウトと安価なリンクスコース標準的管理でも、ゴルフの魅力を維持できるという事実なのだ。