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月刊 ゴルフ場セミナー 2014年4月号 |
発行:ゴルフダイジェスト社 |
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連載コラム グローバル・アイ 第135回 |
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私事で恐縮だがこの4月で59歳になり、お話を頂いてから一年間は設計図書を描かないと明言しているので、必然的に小生のコース設計家としての役割は終わる。
この機会にハピイデイズというか、タイムマシンがあったらという話をしようと思う。
年老いたゴルファーなら、飛距離が出てスコアーも良かった時期を懐かしむだろうが、仕事が上手くいった時期とか、素敵な異性と出会った時など、人にはそれぞれハピイデイズがあるだろう。
それら個人的経験での最盛期とは別に、その時代というか職業の隆盛期も存在し、タイムマシンがあれば行ってみたい時代もあるのだ。
ある友人から問われたのをきっかけにして考えたのだが、コース設計家なら1870年頃に生まれたかった。
つまり20世紀頭に30歳で、H.S.コルト(1869)、A.マッケンジー(1870)、ハリー・バートン(1870)、ジェームス・ブレード(1870)、J.H.テーラー(1871)など、非常に短い期間に生まれた先達がゴルフ設計の基礎を築いたのだ。
ゴルフ全体を見ても、トム・モリス・シニア(1821)の生誕年から判るように、近代ゴルフは200年の歴史もない。
日本に目を移すと、井上誠一(1908?)、上田治(1907)から見て、昭和初期段階では世界最古から40年弱の遅れでしかなく、気候差や文化の現地適合努力を考えると、その差は容易にキャッチアップできる距離にあったはずだ。
さてそれから3/4世紀が過ぎ、現時点ではどうだろうか?
この種の話は設計に限らず、ゴルファーや道具、コースの管理技術にも言える。
道具を例にとると、1880年代までのフェザリーボールとその後のガッティー、20世紀に入ってからのラバーコア。
その後1930年代からのスチールシャフトが大きな節目で、ゴルファーも用具制作者も大変だけども楽しい時代だっただろうと想像できる。
日本の場合、クラブヘッドやシャフトの素材研究ではそれなりの成果を残しているが、倶楽部経営やゴルフ場の開発手法、何よりもゴルファーに対する啓蒙活動がなおざりにされ、良く言えば独自進化、悪く言えば行き当たりばったりだったように思う。
そういう自分はというと、バブル期以降新規開発は止まってしまい、海外に居住してしたことも手伝って、18ホールズを設計して開場まで関わる経験はできなかった。
それなのに、ゴルフ場設計家と名乗るのはおかしい。とのご批判もあるだろう。
例えば宇宙飛行士を想像して欲しいのだが、長い人生の中で、たった3日間宇宙にいただけなのに、宇宙飛行士という肩書きは付いて回るのだ。
建築畑出身の小生はクラブハウス設計を皮切りに、英国時代にコース設計を学び、10年以上前だが台湾メーカーからシニア用のクラブセット設計を依頼されたことがある。
つまり、ハウス、コース、クラブは押さえたわけで、残る倶楽部経営と後進の指導が伴えば、トランプのストレートフラッシュの完成だった。
間の抜けた冗談はともかく、ここ数年はゴルフ界にとって厳しい時代が続くだろう。
逆に言えば、時代進化を先取りできた者だけに未来が開けるわけで、大変だけど面白い展開が期待できると思う。
この進化は、横並び意識の打破を誘発し、利用者の趣向または先進性に秀でた倶楽部の一人勝ちになるだろうから、情報収集能力と分析力、その結果の再構築と実現方法の確率にかかっているのだ。
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