株式会社キャトルキャー ゴルフコース設計家 迫田耕(さこたこう)
ホーム
プロフィール
掲載原稿・講演会
週刊コラム
出版物
連絡先
トップページ
月刊 ゴルフ場セミナー 2014年11月号 発行:ゴルフダイジェスト社
連載コラム グローバル・アイ  第142回
 
コース評価の禅問答
今回は思い切って形而上というか概念的な話にしよう。
『会社は誰のものか?』という議論はご存知だと思う。 株式会社の場合は『基本的に株主のもの』というのが日本の会社法における教科書的な答だが、これでは利害関係者である顧客や従業員の権利と立場は非常に曖昧である。 同様に『ゴルフ場は誰のものか?』という問いには会員だけでは不十分で、スタッフや不特定多数のプレーヤー、それに社会的責任という意味から地域住人をも含むだろう。 尤も会員制倶楽部では、ビジターの意見がメンバーよりも重視される事は有り得ない。 いずれにしても、たとえ創業一族であっても経営者だけのものではないはずだ。

 一方コース評価についての考え方もマチマチである。 例えば、海外のコースなどを数回プレーしただけで評価してしまうのは間違いだ。 気候の良い時期だけに訪れる旅行者の勝手な意見など考慮するには値しないと思うのだが、逆に言えば、その偏った情報だからこそ同類ビジターにとって有益とも言える。 この考えを押し進めると、会員のために年間を通じて一定レベルを維持するよりも、稀に来る情報発信力のある人達を厚遇すれば評価が上がる訳で、必然的に思慮の足らない結末になりがちだ。

 他にも、プレーヤーの性別や技能レベルによって良し悪しの基準が異なるし、悪い評価を下す程ではないがつまらない(もしくは自分が失敗した)ホールの検証はなおざりになりがちだと思う。 実際、素晴らしいホールレイアウトと、悪いとまでは言えないレイアウトの間には、何段階もの階層が存在する。 つまり、悪評が立たないからといって決して良いホールだとは言えないのだ。 むしろ、多くのプレーヤーに強い印象(好評か不評は別にして)を与えるホールの方が記憶に残るし、コースの中で鍵になっている場合が多い。 さらに言えば穏やかなホールも、キーホールを際立たせるためには是非必要だ。

 かくして、コースやホールの評価でさえ様々な要素が絡み合って困難だが、誰かが決めて改善策を立案しなくてはならないのも事実だと思う。 スタッフの合議制で自分のコースを評価し、改善提案を纏めるのが理想的だと思うが、多くの場合、管理技術の知識が不十分で、しかも自分のプレーの事にしか興味がない者が、思い付き放題に食い散らかすのがオチだと思う。 コース評価の前に人事評価の方が先決かもしれない。

ところで人事評価で思い出したのだが、昨今の日本では『良い人間になりたい』という根源的とも思える概念が非常に希薄だと思う。 製品やサービスでは『より良く』することに熱心なのに、肝心の自分に対しては、良心や誠実さより、お金や地位を優先するのは何故だろう? 宗教や道徳教育の関係かもしれないが、偏差値社会や減点法の評価基準が悪影響を及ぼしているように感じるのだ。 先の例で言うと、悪いとは言えない人格だからといって、良いとは言えないのだ。 欧米で暮らしていると、キリスト教の教えなのか、殆どの人が『より良い人格になりたい』と一生懸命であることに驚いてしまう。 実際の行動は、我々日本人の方がずっと誠実だと思うのだが、他人からの評価とは別に自分自身の内面を問いただす姿勢は学ぶべきだと思う。 多分ゴルフの真髄もそこにあるのではないだろうか? いずれにしても、本質を見抜く目を曇らせてはならない。