マスターズトーナメントが開催される季節になると、今期の、そして現在のゴルフの抱えている問題を議論したくなるから不思議だ。今年は昨年暮れに訪問したTPCでの経験から、ラフのあり方について考えてみたい。
1934年にオーガスタ・ナショナルが開場した当初は、アウトとインが現在の逆、
つまり後半の方が難しくなるように設計されていた。
この形式は、マッチプレーの伝統を受け継いできたセント・アンドリュース等の
古いコースに共通し、ゲーム前半でリードを稼ぎ、後半を確実に守って勝利する
マッチの方が楽しいからだと思う。
米国ではマッチプレーから、ボギーベースのストロークプレー時代を経ずに、
一気にパーベースに移行したようだが、その時期はオーガスタ・ナショナルの
開場と一致する。
つまり、マスターズトーナメントは球聖ボビー・ジョーンズの信念に忠実に
従い、パー叔父さん(実は絶倫爺なのだが)と一緒にプレーするという概念を
普く広めたのだ。
基準打数との争いならばホール毎の重要度は等価だが、試合が大詰めを迎え、
一発逆転を狙うとなれば話は別だ。
バックナインで劇的なドラマが起きるように、後半にスコアーが動きやすい
ホールを設定した方が面白い。
通称アーメンコーナー(よくこの3ホールが科罰型、戦略型、英雄型のお手本と
される)等が良い例だと思う。
インとアウトを逆転させた結果として、18番など夕日に向かって打ち上げの
2打目を残す事になり、古典的なコースレイアウトの観点から見れば、誉めら
れた物ではない。
が、選手の顔を大写しする現代のテレビ放映を考えると、お茶の間の観客には
プレーし易さと赴きを異にした観点も必要なのかもしれない。
一方で、日本では第一次世界大戦前後から、英国に代わって米国の影響が
強くなり、パーベースのストロークプレーばかりが行われてきた。
その事自体は、多くの倶楽部がセント・アンドリュースやオーガスタ・ナショナル
に範を取ったパー72に固執するぐらいで実害は無いが、多くの倶楽部メンバー
やビジターに与えた精神的な影響は無視できないものである。
殆ど総てのプレーヤーが、自分のスコアーでコースを評価するようになり(考え
てみれば当たり前だが)良いスコアーの出たコースを良いコースと評価するよう
になった。
この場合、同伴競技者は本来の意味を失い、極端に言えばお互いのスコアーを
助け合う共犯者に近い存在になった。
もし、日本でもストロークプレーの代わりにマッチプレーが標準的にプレー
されていれば、ラフにある同伴競技者のボールの方が、フェアウエーに打った
自分の球よりも有利になる事など、だれも許さなかったと思う。
フェアウエーよりもラフの方が打ち易くなる不条理は、ラフとフェアウエーの
刈り高の差が少なすぎる事からも起こり、冬場に留まらない。
以前のオーガスタのように、総てをフェアウエーにしたコースが、米国の模倣を
恥じない日本で誕生しなかったのは不思議だが、よほどコースの戦略性に自信が
持てなかったのだろう。
現在この問題の解決方法として、グリーンを含むコース全面にトールフェスキュー
をインターシードできないか検討中である。
ベントに較べて根の張りが深く、耐旱魃性や耐暑性に優れた数種類の芝の混生
形態は、巧くすると管理コストを押さえながらコースの付加価値を高める切り
札になるからだ。
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