数日前からの今年二回目の寒波到来で、モスクワでもマイナス三十度を下回ったが、今日は幾分温かく日中の気温が氷点下十五度だ。
今期は例年より冬の到来が遅かったらしいが、ロシア人に言わせれば百年に二回襲ってくる厳寒年だそうで、記念すべき冬に廻りあえたようだ。
この機会に日本では体験できない寒さの話から始めよう。
日本の友人に冗談半分に聞かれるのだが、戸外で濡れタオルを振り回すと瞬時に凍ってしまうのか?
という質問には、カチンカチンにはならないがジャリジャリにはなると答える事にしている。 もう一つよく質問される『逆さツララ』に関する案件では、零下三十度程度では期待外れの結果にしかならない。
さて冗談はさておき、ロシアの都市部では集中暖房が普及しており、外は凍てつく寒さでも室内にいる限り快適で、洗面所や浴室の暖房設備が一般的とは言えない日本より快適だと断言できる。
床暖房や窓辺の暖房設備の熱源は電気か天然ガスだから、厳寒期には需要が逼迫し、市民生活を守るため工場などの大口需要者は制限を受ける。
つまり、この時期はロシアの経済活動も停滞するわけだ。
ところで気になる戸外の植物だが、30cm程の雪を被った芝もちゃんと生きている。 光合成ができないため色は悪いが、試しに雪を除けて数日すると青みが戻ってくる。
しかも何故か凍らないらしく、凍害らしき兆候は見えない。 樹木のほうは広葉樹、針葉樹共に健気にも元気で、僅かだが成長さえしているのだ。
びっくりしたのは強烈な放射冷却の影響で、窓辺の植物は日中でも霜が下りる。 ご存知のように熱の移動経路は伝導か対流か放射しかないが、室内外の温度差が五十度にもなるから、窓を通して戸外に熱が放射され、結果として植物が発散した水分が凍ってしまうらしい。
頭では理解できても、実際に体験するまで気がつかない事態なので驚いてしまった。 また、居室内が極端に乾燥するのも想定外で、加湿器を購入するまで相対湿度が20%までしか測れない簡易湿度計では計測不能であった。
先述二つの現象は、エンタルピーという概念を理解することで容易に説明できる。 一般的には『湿り空気線図』という形でグラフ化されている事が多いので、窓や壁内部の結露問題で目にされた方も多いと思う。
要は、湿気を含んだ気体がどれだけのエネルギーを内包しているか、絶対湿度、相対湿度、温度等の関係を一枚のグラフに纏めたものだ。
今回の例で説明すると20℃相対湿度60%の室内は、零下30℃80%の外気よりずっとエンタルピーが高く、その差に比例した速度で熱は放射されるから、窓際で外に面した植物は14℃付近で水蒸気量が飽和し、それ以上熱を放射すると結露し、その水分が更に放射して零度以下になると、霜になるのだ。
同様に、件の外気を水蒸気が発生しない暖房器具で暖めて室温にすると、相対湿度が10%以下の猛烈に乾燥した空気になってしまう。
考えてみれば根の吸水力は、葉から水蒸気を発散させる機能を動力源として、地下の水分を吸い上げる能力だ。
これはエンタルピーの差を利用している訳だから、厳寒期のエンタルピーの低い雰囲気中では、植物は十分な吸水や呼吸ができないし、夏季より更に緩慢なペースでしか生活できない事を示している。
植物は動物より何倍もゆったり生きており、数ヶ月も息を潜めて春を待っているのだ。 |